曹洞宗・安全寺

安全寺寺報より

平成14年 12月発行寺報より

方丈(住職)の病で想うこと

突然の方丈の病。意識不明の二ヶ月、生死の間をさまよう姿の前で今まで一生懸命生きてきたのになぜ…と涙が止まりませんでした。
そして我に返りました。今この世の無常を思うより、「病を見すえ、これからを生きて行かなくてはならないのだ」と自分の気持ちを立て直そうと何度も何度も自分に言い聞かせ自分を支えてきました。
ようやく四ヶ月たち、心忙しく苦しい時にどれだけ勉強するかが大切と思う心の余裕が出てきました。
普通の家庭で育って寺に嫁いで三十四年余…をふり返りますと、まさに「笑半分、涙半分」の人生だったように思います。
嫁いで間もなく義母から、昭和十五年・住職(現住職の父)が三十五才の若さで亡くなり、生後七ヶ月(現住職)と四才・七才の子供を抱え、生活のため小学校の先生に復職しての生活・昭和二十五年の農地解放。豊だった寺から一転…わずかな山だけを残す寺になり、苦労の連続だったと聞きました。そして三人の子供の教育で衣を買う余裕も無かったことを知りました。激動の戦前・戦後を生後七ヶ月の子の成長だけを楽しみに生きてこられたかと思うと、昔は若く単純だった私は、苦労した義母を私が幸せにしてあげたいと真剣に思いました。
それと同時に寺の社会では師と仰ぐ仰ぐ父のいない人生はわが子には歩ませたくないと思い、役所勤めをしていた方丈に代わり本堂のそうじ・草むしり・草刈り・落葉掃き・なれない仕事に悪戦苦闘の毎日でしたが、辛くはありませんでした。むしろ、綺麗になってゆく寺を見て、満足でした。
三人の子供達も成長し、助けてくれるようになりましたが、新しい檀家さんも増え、今でも五時前に起き悪戦苦闘の生活は続いています。その間には、世話人さん、梅花講の方々、多くの檀家さんにいろんな場面で助けていただき何とかここまでやって来られました。また今回の方丈の病で家族の絆、お檀家さんのあたたかさ有難さに励まされ何度涙したか知れません。
そしてようやく暗く長いトンネルを抜け出たという気がします。

人生には三つの坂があると言われています。上り坂・下り坂・まさかの坂。人生何もかもうまく行くことはありませんが、でもそうなるよう一生懸命努力したいと思います。
方丈の留守の間、副住職の力になり寺を護って行きたいと思います。

今後共お力添え下さいますようお願い申し上げます。

秋田泰子